数日前の話ですが、父親に会ってきました。
ここ30年弱で、対面は2回目です。
久し振りの父は、変わり果てた姿で私の目の前にいました。
やわらかな、白い布につつまれた冷たい壺のなかの父。
「他界したんだなあ」とぼんやり思ったのですが
私の人生の中の30年分、私にかかわらなかった人なので
正直ぼんやりと、その事実をどう消化していいのか
対処に困っている自分がいます。
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生前の父に最後に会ったのは約3年前。
家族に迷惑をかけ続け、滅茶苦茶にした父でしたが
私は当時幼くて、兄がいつも守ってくれていたので
実は、さほど悪い記憶は残っていません。
だから前回、3年前に再会したときに
父親という存在の復活に戸惑いはあったものの
「これっぽっちも恨んでいないし、私の記憶の中の父親は
楽しくってとても魅力的な人だった。お兄ちゃんに感謝してね。」
ということを伝えたかったのです。
ただ、自責の念に駆られているその人との会話を
なかなかそっちに持っていくことができなくて
結局、私はひたすら聞き役にまわるしかありませんでした。
「伝えるのはまた次回でいいか・・・」と諦めたのは
また来ようと思ったから。
静かに腰をあげ、おいとますることを告げると
幼いころ、最後に見た記憶の面影をしっかりと持つその人は
ドアを出ようとする私の背中に向かってぺこりと頭を下げ
「もう来ないでください。」と言いました。
振り返ったときに何も言えなかったのは
父親がまだ、頭をさげていたから。
強い意志がそこにはあったから。
そのまま私は日常の生活に戻り、ときどきぼんやりと
「どうしようかなあ」と思うことはあったのですが
日々の雑務に忙殺され時は過ぎていきました。
一年に一回も一時帰国しない私ですが
365日ある中で私が日本にいる日を選んで逝った父。
「待っててくれたのかなあ・・・」との思いが頭をよぎります。
実は、感情の高ぶりはあまりなく、日本でのスケジュールを
今まで通り元気にこなしている私です。
会いたかった方々にもお会いして、ただその方々に
気をつかわせてしまったらどうしようと、書くのをためらったのですが
「私が日本にいるときに逝った父」に意味があるような気がして
こうして残しておきたかった。
そういうことですが、私はとても元気です。
昨日もいっぱい笑ったし、今日もいっぱい笑う予定。
そうすることで父に、伝わらなかった言葉が伝わればいいな。
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*という諸事情につき、私の大事な人たちにメールや電話が
なかなかできない状況でした。 みんなごめんなさい。
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